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<title>こどものとなり</title>
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<description>整体的子育て　の　こどものとなり</description>
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<title>忘れるとき</title>
<description> 頭痛がして悪寒がして早めに布団で横になる。苦しくてとなりにいる息子に「・・・手をつないでくれる？」と聞くと息子が両手で拝むように　私の手を挟んで　言った「お母さん、疲れてるね」布団に顔をうずめたまま私が答える「うん。熱でてきたのよ」息子が手にきゅっと力をこめて言う。「イヤなことや、クルシイことを　忘れるときがきたんだよ」その息子の言葉に驚いて「そうかぁ・・・忘れるときがきたのか・・・」と言いながら
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<![CDATA[ 頭痛がして<br />悪寒がして<br />早めに布団で横になる。<br /><br />苦しくて<br /><br />となりにいる息子に<br />「・・・手をつないでくれる？」と聞くと<br /><br />息子が両手で拝むように　私の手を挟んで　言った<br /><br />「お母さん、疲れてるね」<br /><br />布団に顔をうずめたまま私が答える<br /><br />「うん。熱でてきたのよ」<br /><br />息子が手にきゅっと力をこめて言う。<br /><br />「イヤなことや、クルシイことを<br />　忘れるときがきたんだよ」<br /><br />その息子の言葉に驚いて<br /><br />「そうかぁ・・・忘れるときがきたのか・・・」と言いながら<br /><br />心のなかでも　もう一度　「忘れるときがきたのか・・・」と繰り返してみる。<br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>整体</dc:subject>
<dc:date>2009-11-25T09:09:39+09:00</dc:date>
<dc:creator>Aya</dc:creator>
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<title>書く　書かない</title>
<description> いくつも連続で日記をアップしている。実はひそかに、このブログの右にある「月別アーカイブ」を意識しており、去年、または一昨年前の月にアップした日記の数と、今年の月別の日記の数が同数、または、それ以上になることを自分に課しているために仕事をお休みした本日、ばーーっと書き込んでいるわけである。って、そんなことをしたからといって、なんになるわけでもない。今まで、月別アーカイブなんてあまり気にせずにアップし
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<![CDATA[ いくつも連続で日記をアップしている。<br /><br />実はひそかに、このブログの右にある「月別アーカイブ」を<br />意識しており、去年、または一昨年前の月に<br />アップした日記の数と、今年の月別の日記の数が<br />同数、または、それ以上になることを自分に課しているために<br />仕事をお休みした本日、ばーーっと書き込んでいるわけである。<br /><br />って、そんなことをしたからといって、なんになるわけでもない。<br /><br />今まで、月別アーカイブなんてあまり気にせずにアップしていたところ、ふと<br />前年と同じ数だけたくさん書く月もあれば、<br />前年と同じ数だけなにも書かない月もあるということに気づいたのである。<br /><br />mixiの方の日記もあるので、それをあわせると<br />なるほど。自分は４月と８月と１１月にはたくさん書きたくなるんだと<br />いう傾向が見えてくる。不思議なものだ。<br /><br />で、今年の１１月はあまり書き込みをしていなかった。<br />別に、去年と比べて今年が極端に忙しいというわけではない。<br />書きたいことが見つからないというわけでもない。<br /><br />書きたいことはたくさんある。<br />ベラベラベラベラとたくさんあるのだ。<br />でも、書きたいことを押しとどめてしまってブレーキ状態にある自分が<br />いるということに気がついた。<br /><br />いかんいかん。<br />排出せねば。<br /><br />・・といっても、ブログとして公開するかどうかは別問題。<br />書き溜めている（公開していない）日記もあるわけである。<br />自分の気持ちの排出といっても、公開するということは<br />書くということとは別のことなのである。<br /><br />なんでもかんでもブログに書き込んで　<br />公開してしまっている人もいるが、それでは保ちがない。<br />破裂した配水管のような状態で見苦しい。<br /><br />一方、かなり優れたブログを書いている人もいる。<br /><br />もちろん、私が学んでいる先生方のブログというものも<br />大変優れている。ブログからも学ばせていただいている。<br /><br />いやぁ、たいしたもんだ。<br />そういう先生方に比べれば、私の文章など拙い拙い・・・・<br /><br />リンクを勝手にはらせていただいている<br />整体の山上亮先生のブログも、なかなか見事である。<br />・・・最近、「おぉ！これは」と思った記事があったのが<br /><a href="http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/127860778.html" target="_blank" title="2009年09月12日の「秋　雑感」である。">2009年09月12日の「秋　雑感」</a>である。<br /><br />そして、もうひと方の素晴らしいブログについて書かせていただくと<br />最近、私の日記にお名前がたびたび登場している<br />能楽師の安田登先生のブログである。<br />安田登先生は、そろそろ発売されるはずの「論語」の本を書かれるくらいに<br />その文章には知識と含蓄とが豊かで深いものがある。<br />さぞや難しい内容であろうと思いきや・・・・<br /><a href="http://watowa.livedoor.biz/archives/50754646.html" target="_blank" title="2009年10月31日　銚子の猫である">2009年10月31日　銚子の猫である</a>　なんてのもあって<br />噴き出してしまう。・・・せ、せんせい・・・・<br />お忙しい先生が、猫の表情（というか体情）を　じっと観察しながら<br />写真をパチパチととって、アフレコをあてこんでいくという、その先生の<br />イキイキとしたヤンチャ坊主ぶりを想像して、大笑いしてしまうわけである。<br /><br />ちなみに、安田先生が猫と戯れている記事をお書きになっていた頃、<br />私は、安田先生と河野智聖先生と東大名誉教授の跡見順子先生の鼎談の<br />準備で、キーキーしながらパソコンに向かっていたのである。<br />（往々にしてスタッフというものは、そういう役目のものである）<br /><br />いやぁ、参りました。<br /><br />流石は先生でございます。<br /><br />あやこ坊、まだまだ器がちいさいものでございます・・・・<br /><br /><br />ということで、ひとり「老松」を舞ってみる。<br /><br /><br />「老松」（脇能　世阿弥作。老松の精が御代の栄えをことほぐ） <br /><br />齢をさずくるこの君の。ゆくすえ守れと我が神託の。<br />告を知らする松風も梅も。久しき春こそ　めでたけれ。<br /><br /><a href="http://blog-imgs-36.fc2.com/a/k/u/akuu/20091119141651054.jpg" target="_blank"><img src="http://blog-imgs-36.fc2.com/a/k/u/akuu/20091119141651054.jpg" alt="老松" border="0" width="150" height="112" /></a><br /> ]]>
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<dc:subject>亜</dc:subject>
<dc:date>2009-11-19T14:25:09+09:00</dc:date>
<dc:creator>Aya</dc:creator>
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<title>良し　悪し</title>
<description> 以前の整体講座で、河野智聖先生がこのように仰っていた。「生きているといろいろなことがあるものです。　良いこともあれば、悪いこともある。　良いことをプラスとして、悪いことをマイナスとして　それでプラス・マイナス＝ゼロかというと　そうではないのです。　悪いことも楽しんでいけるようにならないと　ならないのですね」この意味を、ずっと考えていた。それまでは、良いことと悪いことは　プラスマイナス＝ゼロだと思っ
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<![CDATA[ 以前の整体講座で、河野智聖先生がこのように仰っていた。<br /><br />「生きているといろいろなことがあるものです。<br />　良いこともあれば、悪いこともある。<br /><br />　良いことをプラスとして、悪いことをマイナスとして<br />　それでプラス・マイナス＝ゼロかというと<br />　そうではないのです。<br /><br />　悪いことも楽しんでいけるようにならないと<br />　ならないのですね」<br /><br />この意味を、ずっと考えていた。<br />それまでは、良いことと悪いことは　プラスマイナス＝ゼロだと<br />思っていたので。では　良いことをプラスとして、悪いことも<br />プラスとしてとらえて、プラス・プラス＝２（またはそれ以上）と<br />することとしたら、人生はかなり変わってくるのではないか・・・と。<br /><br />悪いことをプラスにとらえるには、どうしたらよいものなのか？<br /><br />「ありがとう」と何に対しても言うメソッドがある。<br /><br />私が知りえたメソッドのテキストによると、悪い出来事があったときに<br />クチにだして「ありがとう」と言ってみると良いというものである。<br /><br />たとえば、足の骨を折ってしまったとする。<br />そのときに「足の骨を折ってしまって、ありがとう」とクチに出して<br />いってみると、「足の骨を折る＝ありがたいこと」であると<br />いうツジツマをあわせるべく瞬時に頭が働く、というのである。<br />「足の骨をおったおかげで、暫くゆっくりすることができた。<br />最近忙しかったから、かえって良かったわ。ありがたい」という<br />理由が沸いてきて、足の骨を折るというマイナスなことでも<br />プラスにとらえることができるというのだ。<br />そのグループの人たちと一緒に食事をしたときに、<br />そんな例をいくつも聞いた。話しながら皆さんも大変幸せそうだった。<br /><br />そうかそうか、なるほど、それはすごいな　と感心したのだが<br /><br />うーん、本当に　そうなのか。<br /><br />暫く、それを試してみることにした。<br /><br />「息子が宿題をしないことで先生に呼び出されて、ありがとう」<br />うーーん。<br /><br />「寝ている息子に顔をけられて　ありがとう」<br />うーーんん・・・<br /><br />「一人親になって　ありがとう」<br />・・うぅ・・・・<br /><br />「ガンがあって　ありがとう」<br />・・・・・ぅ・・・・<br /><br /><br />確かに、瞬時にツジツマをあわせるべく言い訳のような感じで<br />頭の中では「ありがたい理由」がそれぞれにパっと出てくるのであるが<br />なんかおかしい。気持ちがわるい。<br /><br />鳩尾に手をあててみながら、試してみる。<br />すると、鳩尾は硬くなるということがわかった。<br /><br />なるほど。<br />頭は納得する理由をみつけて落ち着くのであるが<br />頭より先に、からだのほうが反応していて<br />それが、硬くなって　からだに残ってしまうのだ。<br /><br />何か事態があったとき、頭や意識より早く<br />からだは反応しているのだがら、<br />後からこじつけようとしても、<br />頭では納得できても<br />からだに残るのだ。<br /><br />からだは正直だぜ・・・・<br /><br /><br />悪いことは、悪いことのまま受け取るしかないのだろう。<br />そうしてその上で、それを楽しむ・・・ということ。<br /><br /><br />整体では、呼吸をみながら<br />かける言葉をかえていくということがある。<br />なかなか、まだ自分にはできないので<br />日々暮らしの中で実践中なのであるが<br />こんな感じである。<br /><br />息子が転んで、その痛みとショックで息を詰めている。<br /><br />私も一瞬息がつまるのであるが、<br />からだを開いて息子に近寄りながら息を長く吐いてみる。<br /><br />すると「痛い、痛い、手、あてて。」と泣き始める。<br />泣き始めると、詰めていた息が動き出す。早い速度になる。<br /><br />「あー、痛いねぇ、どこかなー、ここかなー」とのんびりした声で<br />ゆっくり息を吐きながら、手をあてていく。<br />そして、ひとつ大きく息をすう。<br /><br />そうすると、息子の息が落ち着いてくる。<br />「あー、痛かったねぇ。びっくりしたねぇ。」というと<br />だんだんと息子の鳩尾がゆるんでくる。<br /><br />まぁ、これは比較的、<br />自分なりには良い対処だったと思うケースである。<br /><br />（靴をちゃんとはいてないから、まったくもう！）とか<br />（この忙しいときに、とっとと起きあがってよ！）とか心に思いながら<br />「あー、はいはい。痛かったね。どれどれ、あ、大丈夫よ。このくらい」とか<br />言って、手を引っ張って起き上がらせて、不満げな顔の息子をそのまま<br />連れて行ってしまったりすることもある。まったく息子の呼吸を無視して<br />いる対応である。反省至極。<br /><br />自分に起こった悪い出来事のときにも<br />自分の呼吸をみながら、自分にかける言葉をかえてみて<br />からだの反応がどう変わるのかを観察してみたい　と思うが、<br /><br />実際に、悪い出来事があると<br /><br />呼吸の観察どころか<br />そのまま　悪い出来事に突入していってしまうので<br />未だにそれができないのである。<br /><br />悪いことは、悪いことのまま受け取り<br />そうしてその上で、それを楽しむ・・・<br /><br />これは、悪い出来事に対してだけでなく<br /><br />私が感じる　「許せないことをした人」に対しても<br />「あんな卑怯者とは一緒にいたくないわ！」というのではなく<br />「武士の風上にもおけぬ。成敗してくれる！」というのではなく<br />その上で一緒にやっていくということで・・・<br /><br />当面の課題である。<br /><br /><br />ふぅ・・・・<br /><br />道遠し・・・・<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>整体</dc:subject>
<dc:date>2009-11-19T11:40:58+09:00</dc:date>
<dc:creator>Aya</dc:creator>
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<title>黒いモノ　白いモノ</title>
<description> 野草料理研究家であり、マクロビオティックを桜沢先生に直に学んだ若杉友子ばあちゃんのお話しを、昨年の収穫祭のときにＮＰＯメダカのがっこうでお聞きする。食養を学んだものにとっては、どの話しもとても興味深いお話なのだがその中でも、一段と興味深い話というのが「味噌パスター」の話しだった。若杉さんは、味噌は麹もつかわずに塩と大豆だけでつくっている。その味噌の１０年物をつかって、娘さんが子宮筋腫になっていたと
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<![CDATA[ 野草料理研究家であり、マクロビオティックを桜沢先生に直に学んだ<br />若杉友子ばあちゃんのお話しを、昨年の収穫祭のときに<br />ＮＰＯメダカのがっこうでお聞きする。<br /><br />食養を学んだものにとっては、どの話しもとても興味深いお話なのだが<br />その中でも、一段と興味深い話というのが「味噌パスター」の話しだった。<br /><br />若杉さんは、味噌は麹もつかわずに塩と大豆だけでつくっている。<br />その味噌の１０年物をつかって、娘さんが子宮筋腫になっていたときに<br />味噌バスターの温湿布をしていたら、なにやら黒いものが出てきて<br />子宮筋腫がなくなったという話である。<br /><br />砂欲療法で、子宮ガンの人のからだから大量に黒い塊がでてきたと<br />いう話しなど、こういう話は他でも聞いていたので、いつか私も<br />そういう体験をしてみたいと思っていたところ、<br /><br />この春に、<a href="http://akuu.blog25.fc2.com/blog-date-200904.html" target="_blank" title="そういうこと">そういうこと</a>があった。<br /><br />整体の操法を受けたあと暫くして、<br />黒いカスのような塊がボロボロと出てきたのだ。<br /><br />私には、子宮ガンと子宮筋腫がある。さらに左卵巣の癒着がある。<br />いずれも、手術をしたり薬をのんだりはしていない。<br />自然療法や食養をして、整体をしているだけである。<br />（いまは食養もしていないので、整体だけである）<br /><br /><br />つい一昨日、またカスのような塊がでてきた。<br />今度は不思議なことに白いカスなのである。<br /><br />これには　驚いた。<br />黒という話しはよく耳にしていたし<br />半年前の自分の経験でも黒いモノだったのだが、<br />今度は白なのである。<br /><br />白か・・・・<br /><br />前回の黒はガンのデトックスで、今回の白は良性腫瘍である子宮筋腫の<br />デトックスだったのだろうか。悪性腫瘍は黒、良性腫瘍は白だったりして？<br /><br />今回、もうひとつ面白い話しがある。<br />その白いカスのデトックスの前日、明け方に活元をしていたときに<br />涙がばーっと流れてきて、とても嫌な感情が沸き起こってきて<br />ずっと「嫌だ、嫌なの！」と言って足をバタバタしていたら<br />息子が「何が嫌なの？」と聞いてきたので、<br />「カスが嫌なの！くっつかれるのが嫌なの！」と私は答えていた。<br /><br />息子が「カスってなあに？消しゴムのカスとかそういうの？」と<br />きくので、「そう、そういうもの！」と私は答えていた。<br />不思議なものである・・・・<br /><br />つくづく、整体の世界というのは　すごいものだなぁ・・・・と<br />感嘆するのである。<br /><br />次は何色が出てくるのか・・・・・ちょっと愉しみにしていようか。<br /><br /> <br /><a href="http://akuu.blog25.fc2.com/blog-date-200904.html" target="_blank" title="デトックス　～整体で生きる～ ">デトックス　～整体で生きる～ </a><br /> ]]>
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<dc:subject>整体</dc:subject>
<dc:date>2009-11-19T03:04:42+09:00</dc:date>
<dc:creator>Aya</dc:creator>
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<title>無理はいけない。しかし、無理をしなくては何も出来ない。</title>
<description> 先日、野口先生の高弟である武居先生の講座に出たときのこと。ぴりりと引き締まった雰囲気で、厳しい感じのする大先生が「わかりましたね？」と場内に問いかけると場内はシンと静まり返る。その中で、最前列の年配の女性がパっと　「これこれこういうことですか？」と静けさをわって、声をあげる。するとたちまち先生から、厳しい返答が返ってくる。「そういうことではありません。その違いを見せますから、こちらにたってみなさい
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<![CDATA[ 先日、野口先生の高弟である武居先生の講座に出たときのこと。<br /><br />ぴりりと引き締まった雰囲気で、厳しい感じのする大先生が<br />「わかりましたね？」と場内に問いかけると<br />場内はシンと静まり返る。<br /><br />その中で、最前列の年配の女性が<br />パっと　「これこれこういうことですか？」と<br />静けさをわって、声をあげる。<br /><br />するとたちまち先生から、厳しい返答が返ってくる。<br />「そういうことではありません。<br />その違いを見せますから、こちらにたってみなさい。<br />・・・・さぁ、どうです、違うでしょう？」<br /><br />年配の女性は、先生の厳しい雰囲気に気おされずに<br />「・・・あまり違いがわかりません。<br />こういうことなのでしょうか？」とさらに聞いていく。<br /><br />みなが一様にわかったような顔をして静かにしている中で<br />その女性だけが、あたかも飲み込みの悪いオロカモノのように<br />どんどん声をあげて、あれこれと聞いていくのだ。<br />そうして、参加者の失笑をかっていたりする。<br /><br />先生とその女性の問答をきいていて、だんだんと、<br />その女性は、あえてそのような飲み込みの悪いオロカモノの<br />役目を引き受けているのではないだろうか・・・と思うようになった。<br />（オロカモノを演じているというのではない）<br /><br />その女性はかなりのベテランである。<br />その人が、「私はこんなに理解しているのよ」というのではなく<br />「こんなにわかっていないのです」ということを、みなの前で<br />露呈しているのである。<br /><br />すごいことだ。<br /><br />新参者の私など、恐れ多くて「先生、今のところがわかりません」と<br />声を挙げることができないことを、その女性が代わってくれているわけで<br />その人が「わかりません」という内容は、みなにとっても曖昧で<br />「わかったような気になっている」部分だったりするのだ。<br /><br />その女性は、講座の、すばらしいサポーターだと気づいた。<br /><br /><br />すっかり感心して、別の幾つかの講座などでも、<br />そういう人がいるかを観察してみると、<br />そういう人はなかなかいない・・・・<br /><br />たいていのベテラン陣はわかった顔で黙っているか<br />参加者に「それは先生に聞いてください」と言っているかしている。<br />中には「先生のおっしゃいりたいことは、こういうことですよね？」<br />なんて、先生の話を自分で語り始めちゃったりするベテランもいる。<br />（そういう人がいると、とたんに場がしらける）<br /><br />なかなか、「自分はわかっていない」というスタンスをとるのは<br />難しいことなのかもしれない。<br /><br /><br />試しに、受講している子育て講座で、あるとき私も<br />ちょっときけないような恥ずかしい質問をしてみた。<br />「え、あやこさんって、そんなこともわからないの？」というような<br />冷たい視線を他の参加者から、受けたように感じてしまって<br />居心地が悪くなってしまった。<br /><br />つまりは、私は、「整体がわかっている」とか「精通している」と<br />人から見られたい次元にまだいるということなのだ。<br /><br />「自分はこのように理解しているけれども、それは違うのではないか」と<br />自分をまな板にのせて、自分の未熟な面を露呈して捌いていく。<br />それができるようにならないと、私は先に進めないのだろう。<br /><br /><br /><br />『雨ニモマケズ』で、風雨にも寒さにも暑さにも負けずに <br />丈夫で無欲で、困っている人のために東西南北に奔走し<br />『ヨクミキキシ　ワカリ』『決シテイカラズ イツモシズカニ<br />ワラッテイル』ような素晴らしい人が <br />どうして『ミナに　デクノボート　ヨバレ』なくちゃならないのかと<br />ずっとずっと疑問に抱いていたのだが、<br />（これは<a href="http://mixi.jp/view_diary.pl?id=349714435&amp;owner_id=4759976" target="_blank" title="mixiの日記">mixiの日記</a>にアップしていますね）<br />ようやく２５年して、その疑問が解けた気がする。<br /><br />『デクノボー』の役目を引き受けることが出来るということ。<br /><br />演じるのではなく、自己卑下するのではなく<br />自分のなかの未熟な部分を素直に露出するということ。<br /><br />ここのところ、ずっと自分に課していることである。<br /><br /><br />あまりに深く難しく遠い道の先にある整体の世界を<br />あたかも、自分はわかっていることのように話したり<br />書いたりしている今、何が自分の血肉になっており、<br />何がまだ自分の外にあるのか、<br />ごまかしてはいけないと思っている。<br /><br /><br />・・・ということで、表題の話し。<br /><br />「無理はいけない。しかし、無理をしなくては何も出来ない。<br />　では、どうしたら良いとお思いか」　という問答メールを<br />とある書家の先生からいただいた。<br /><br />突拍子もないメールだったのだが<br />論語の「一を聞いて十を知る」と「当意即妙」ということを<br />曾祖母に躾けられてきたので、即座に<br />「無理が無理とならない大きな器と胆力を持ちたいと存じます」<br />と答えると、我が意を得たりとお褒めの言葉を頂戴する。<br /><br />しまった。<br /><br />デクノボーの役目を引き受けるのではなかったのか。<br />褒められるようでは、まだまだなのである。<br /><br /><br />能楽師の安田登先生は仰っていた。<br />「師匠に褒められようと思ってはならないのです。」<br />そうしてまた<br />「どうして？」と聞いてはならないということも仰っていた。<br /><br />実に含蓄あるお話しである。<br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-11-19T01:33:42+09:00</dc:date>
<dc:creator>Aya</dc:creator>
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